駅から歩いて十五分、という触れ込みだけど、どう考えたって十五分じゃ着かない場所に、私の高校はあった。私立花積高校。花とつくだけあって、花壇はどの季節でも美しいけれど、実はこの高校、桜がない。だからどうしたって話だけど。 駅前はそれなりに店などがあるけれど、歩けば歩くほど田んぼと住宅がどこまでも広がっている。そして、とんでもなく急な坂を登りきると、ようやく校舎が見える。これから毎日ここを行ったり来たりしなければならないと思うと、憂鬱で仕方がなかった。今思えば、これはこれで私は好きになったから別に構わないのだけれど。今の私は違う憂鬱を抱えている。 そんな私の憂鬱な気持ちなんて知りもしない神様は、わざわざ空をきれいな青色で染め上げてくれ、四月だというのに汗をかいてしまうほどの陽気にしてくれた。ただ単に駅から学校までが遠いせいもあるけれど。 校門を抜けると、昇降口のあたりに人がたまっていて、新しいクラス分けが書かれている大きな模造紙の前で騒いでいる。新学年が始まるというのは、何度経験しても憂鬱だった。誰と同じクラスになるか、どんな雰囲気なのか、と考え出したらきりがない。今年はそれに加えて受験生、という肩書きまで付いてしまう。 私も三年生のところへ行き必死に名前を探す。何といっても私たちの学年は人数が多いので、必然的にクラス数も多くなってしまう。だから、非常に時間がかかる。そして、模造紙の前で動かない人が多くて、背の低い私はただでさえ苦労する。 「灯里ちゃん、十六組だよ」 後ろから聞き覚えのある声がした。 「また同じクラスになれた!」 振り向くと、そこに立っていたのは川間ひかりだった。私はまた前を向いて、十六組のところを探す。私の名前と、ひかりの名前があった。 「本当だ! また同じクラスになれたね!」 「三年目だけど、よろしくね」 私がひかりに初めて会ったのは、高校に入学してすぐのことだった。そのときから同じクラスで、隣の席だった。緊張して誰とも話せないでいた私に、ひかりは優しく話しかけてくれた。それから、仲良くなるまで時間は掛からなかった。同じ部活に入り、同じ委員会に入り、常に一緒で、たまには喧嘩もするけれど、私にとって大切な親友だった。そんな彼女と高校生活最後のクラスも一緒だというのは、言葉に表せないほどうれしかった。 隣の中学校にある桜が散りだす頃、学年全体でピリピリした空気が流れだし始めた。誰と話をしても受験の話で、たまに出るのは部活の役員引継ぎがどうとかそんな話ばかりだった。 私たちがお弁当を食べているときの会話も、そんなのばかりになってしまった。 「うちの部は引き継ぎどうするんだろうね」 「まあ、もともとあるんだか無いんだか分らない部だし、適当にやるでしょう」 「副部長がそれでいいの?」 「いいよ。まあ、部長あたりが適当に指名してくれるんじゃないかな」 「出た、ひかりの丸投げ」 「ヒラ部員は黙ってなさい」 「はいはい。ところでさ、ひかりは大学希望調査票書いた?」 「ああ、まだ書いてないや。提出ってまだだよね?」 「うん。そうだけど、ひかりもやっぱり英文系に進むんだよね?」 「そのつもり。灯里は?」 「私も。このままうまくいったら、大学まで一緒だね」 「そうだね。腐れ縁ってやつじゃない」 「何それ! ひどい」 「まぁ、大学でも授業についていけなくなったら教えてあげる」 「普段いつも教えてるのは私じゃん!」 「そうだっけ?」 「どっちが先に彼氏作るか競争とかするのかな」 「合コンなんかしちゃったりして」 「絶対に一人の人を取り合うね」 「私たち、男の趣味似てるしね。言えてるかも」 私とひかりが仲良くなったのは、趣味や考えが似通っているというのが大きな理由かもしれない。何気なく買った小物を学校に持ていったら、ひかりが同じものを持っていたって事もあったし、科目選択もまったく同じだった。そして、大学でやりたいことも全く同じで。まるで、私とひかりが何かによって導かれているようだった。 そして、あっという間に夏休みを迎えたけれど、同じ予備校に通っていたので夏休み中もほとんど毎日会っていた。勉強はつらかったけれど、ほかの友達と一緒だったから頑張れた。そして、ひかりと一緒の大学に行くためだと自分に言い聞かせ、私は夏休みを勉強で過ごし、偏差値もだんだん上がるようになってきた。 二学期が始まり、本格的に受験ムードが漂い始めたころだった。予備校の授業を終えた私たちは、いつものように帰ろうとした。 「ああ、ごめん。私ちょっと先生に質問してくるからみんな先に帰ってて」 ひかりはそう言い残して、先生のほうへ駆けよっていった。彼女の後姿に、私はなんだか嫌な予感がした。 しばらくして、いつもどおり学校へ行くとひかりが勉強をしていた。みんな必死に朝から勉強してるし、そんな姿は別に珍しくもなんともなかった。けれど、彼女が開いている過去問は、私たちが目指している学校とは違う学校のものだった。 「ひかり、おはよう」 「おはよう」 「それ、第二志望とかの過去問?」 私は特に何も考えず、思ったとおりに言った。すると、ひかりの表情が陰った。 「ううん、第一志望だよ」 「えっ? でも、ここって…」 「うん。志望先変えることにしたんだ。他にもやりたいことがあるの」 「そんな、でも、同じ学校でも出来るんじゃないの?」 「学科自体はあるけれど、こっちじゃないとできないことがあるから。ずっと、黙っててごめんね」 今まで自分だった部分が抜け落ちてしまうようだった。私は、ずっとこの半年間、ひかりと同じ大学に行くために勉強していた。そして、ひかりも同じことを考えていると思っていた。けど、違った。ひかりは、私から離れていこうとしている。 「なにそれ、どういうこと?」 「だから…」 ひかりがそう言いかけた時、ちょうどよく先生が教室に入ってきた。 予備校に行っても、みんなから少し離れた場所に座っていた。ひかりと話をしたくなかったから。たまに、友達が話しかけに来てくれたけれど、さびしかった。ひかりはたまにこちらを見ては、ほかの友達と話をしている。 私はずっと、ひかりと一緒にいられると信じてた。大学に行っても、同じことを勉強して、同じサークルに入ったりして、もしかしたら同じ男の人を取り合っちゃったりして。けど、結婚しても仲良しで、子どもまで仲良しになるんだと信じていた。それが幸せだと信じてた。けれど、ここに来て初めてひかりは、私と違う選択をした。それが何を示すのかは、私にはわからなかった。 授業が終わった後、一目散に教室を飛び出した。何も考えられないように、走った。走ると余計な事を考えなくて済むから。どれくらい走ったのかはわからなかったけれど、しばらくして足を止める。ひたすら呼吸をくりかえす。吐く息が白い。耳が痛い。スカートから出ている足が冷たい。無茶をした体が悲鳴を上げているかのようだった。ふと周囲を見渡すと、小さな公園があった。私は公園にあるベンチに鞄とコートを置いて、ジャングルジムのてっぺんに登った。コートを脱いだ私の体は少しだけ軽くなっていたので、すぐに登れたのは良かったけれど、冷たい冬の風が容赦なく体にぶつかって通り過ぎていく。 ジャングルジムに昇ったのなんて何年振りだろう。そんなことを思いながら空を見上げる。宝石をこぼしたような空が広がっていた。大した高さじゃないのに、まるで空に昇ったような気持ちになった。それを見たら、なんとなくひかりの声が聞きたくなった。制服のポケットから携帯を出す。暇な時にはよく電話していたけれど、最近はまともに話もしていないから緊張して、通話のボタンを押すのに時間がかかってしまった。繰り返される呼び出し音。回数を重ねるごとに、手が震える。どうして電話なんてしてしまったんだろう。けれど、もう引き返せない。 『もしもし』 聞き覚えのある声。いつも聞いていたはずなのに、懐かしい感覚。 「もしもし」 『あのさ、もしかして、私がほかの大学に行くってこと怒ってる?』 まさかひかりからその話を切り出されるとは思っていなかったので、返事に詰まる。 『早く言わなきゃって思ってたんだ。遅くなってごめん』 いつもと違って沈んだ声で言った。 「私こそ、ごめん。だってさ、そんなのひかりの自由じゃん。けど、ひかりと離れ離れになっちゃうって思うとすごく寂しくて。もう二度と会えなくなっちゃうのかなって思って」 私は泣いていた。きっと、聞き取りづらかったと思う。けれど、ひかりは何も言わないで私の言葉を聞いてくれた。 「私も、灯里と離れ離れになっちゃうのはさびしいよ」 電話を持ったまま振り返ると、街灯の下に、笑顔の灯里が立っていた。そして、私の荷物の隣にコートと荷物を置いて、ジャングルジムに登ってきた。私は泣いていたのが恥ずかしくて、顔をこする。 「いや、泣いてたのバレバレ」 「うるさいっ」 「私ね、日本史の勉強してるうちに、歴史に興味を持つようになったんだ。それで、もっと歴史の勉強ができる学校を目指そうって」 「そうだったんだ」 「本当は悩んだ。というか、今も悩んでる。ずーっと双子みたいに一緒にいた灯里と離れて私は一人でやっていけるのかな、って。最近、灯里が話をしてくれなくなっただけで不安だったし。けど、いつかはこういう時を迎えてしまうんだと思う。遅かれ早かれね」 「うん」 「でもさ、思ったんだ。こんなに仲が良かったら、離れたって友達でいられるって。逆にさ、離れ離れになった程度でダメになる友達なんて、大した仲じゃないよ」 私はそれでも寂しいし、離れたくなかった。わがままを言ってみたかった。けれど、そんな風に依存しあう関係は無意味だ。ひかりの言葉からそれを感じ取った。 「ひかりのこと、信じてる」 私は空に浮かぶ満月を見上げながら言った。そしてひかりも独り言のように言った。 「空って、こんなにきれいだったんだね」 それから、冬が終わり私も灯里も希望していた進路に進むことが出来た。そこからもあっという間だった。 そして卒業式を迎えた。けれど、私は泣かなかった。あのとき灯里は約束をしてくれたから、 悲しむことなんて全くない。 私たちは卒業式を終え、駅まで向かう。最後の下校。 「なんかさ、あっという間の三年間だったよね」 「うん」 「私、この学校に入ってよかったって今頃思うよ」 「あ、そっか、灯里は滑り止めだったんだっけ、ここ」 「そう。でも、こうやってみんなに会えたし、よかったかななんて」 そう言って灯里は笑った。その言葉を聞いて、私は泣いてしまった。 灯里はそれでも笑ってくれていた。 街にまた春がやってきた。今日から新しい生活が始まる。 といっても実は、大学のある場所は高校の近くだからあまり変わらない。 駅には見慣れた制服を着た高校生がぞろぞろと歩いている。 つい最近まで、灯里や他の友達と一緒に同じ服装で歩いていたのがうそみたいだ。 これから今までと全く違う世界に飛び込むのは怖いけど、きっと大丈夫。 だって、私は一人じゃないから。 駅前に咲いている花が、風でふわりと揺れた。 |