「もうダメだ!」 「誰か助けてくれ!」 人々が逃げ惑う。飛び交う炎。まるで世界の終わりを見ているようだ。 しかし、彼らは待っていた。伝説の英雄が救いの手を差し伸べることを。 「待たせたな」 人々の前に現れたのは、黒いマントを身につけ、剣を手にした勇者。 というかオレ。人々は涙を流しながら歓喜した。 「この村を、これ以上あいつらの好きにはさせない!」 そして、現実のオレは目を覚ます。ぼやけた絵が目の前に広がっている。 残念なことに現実のオレは、勇者でも魔法使いでも英雄でもない単なるパッとしない眼鏡の大学生だ。 どうやら週刊誌を読みながら眠ってしまったようだ。戦禍からは逃れられたけれど、 このしょうもない現実からはいつも逃れられない。 週刊誌をどけて、枕元においてあった眼鏡を掛ける。世界がゆがむ。いつもの眼鏡より度がきつい。 眼鏡をはずしてみると、オレのではないことが確認された。とりあえず煙草でも吸うか、と 誰のだか分からないセルフレーム黒眼鏡を掛けて立ち上がるが、煙草が見当たらない。 灰皿も無い。ついでに言うとライターも無い。空き缶と空き瓶が六畳の部屋に散乱している。 「あいつらだな。クソっ」 一人で悪態をつく。きっと、今日の朝方まで飲んでいた友人連中が自分のものと 勘違いして持っていってしまったのだろう。だからって人の灰皿を持ってくなんて、 どうかしてる。悪意があるとしか思えない。これだから酒は嫌いなんだ。 マンガ本に埋まっていた携帯を開く。いつもよりも画面に近づいて時間を確認する。 とっくに授業は始まっているようだ。家から学校までは走って五分だから、間に合うっちゃ間に合うが 頑張るのが面倒くさい。授業という気分ではない。今期欠席三回目だが、まあいい。何とかなるだろう。 まだ二年生だし。単位など四年までに取りきれば良いのだ。うん。 ドアをノックする音が聞こえる。こんなときに誰だ。鏡を見て申し訳程度に髪を整えて ドアへ向かう。 「どちら様ですか?」 「私よ私」 声の主は、オレの彼女だった。しかし、今日はそんな気分では無い。 できれば一人でこもってネットでもしていたいんだ。 「ああ、何だ」 「暇だから遊びに来たよ。開けて」 「すまないが、今日は部屋が大変なことになっている。またにしてくれ」 「いいじゃん」 オレの抵抗むなしく、ドアが開く。友人らが出て行ったきりドアに鍵が掛かっていなかった。 彼女もきょとんとしていた。まさか鍵が開いているとは思わなかったのだろう。 「え?」 「今日、サークルのやつらが来てたんだよ」 「いや、その眼鏡」 「眼鏡?」 「似合わないわー!マジうける!」 彼女はオレの眼鏡を見て嬉しそうに笑った。正確に言えばオレの眼鏡ではないのだが。 けれど、そんなに似合わないのだろうか。セルフレームの眼鏡には少し憧れてたんだがな。 「ほらほら、どいたどいた」 しょんぼりしているオレを押しのけて、彼女はあっさりと家の中に入った。 オレも鍵を掛けて中に戻る。彼女は呆然としていた。 「なななな」 「だから言ったろ。だから今日は帰りなさ…」 「片付け甲斐がありそうじゃない!」 そう言って彼女は床に転がった缶をいそいそと集め始めた。そして、一つ一つ水で中を洗浄していく。 ぼんやりそれを見ていると、彼女が睨みつけてきた。 「邪魔。部屋の隅で煙草でも吸ってなさいよ」 邪魔って。ここオレの部屋なんですけど。 「残念ながら、煙草は人質にとられてしまってな」 「じゃあアレは何」 彼女が指差した先にあるのは、一人暮らしの支えとして買った小さな 観葉植物の植木鉢だ。ほとんど手入れをしていないのに立派に育つ姿は、オレにちょびっとだけ 元気を与えてくれる。よく見るとその元気の元、植木鉢に白い棒みたいなものが何本も 立っている。抜いて見てみるまでも無く、それらはオレの煙草だった。あのクソ野郎ども、なんてことをしやがるんだ。 「しかし、ライターも行方不明…」 彼女は無言でライターと携帯灰皿を突き出した。 「お前煙草吸ってたっけ」 「煙草を吸う彼氏を持つ女として、コレくらいは常識」 「そうか」 それを受け取って、窓際で煙草を吸いながら彼女の掃除を見ている。 ゴミに埋もれた六畳間はすっかり綺麗になった。常にこうしていたいものだ。 そんな気持ちも持って二週間だが。 「掃除おわったよっ」 満面の笑みで彼女が言った。 「おう。満足したのなら帰れ」 オレは結構真面目に言った。これらは一切ギャグではない。オレとしてはマジで帰って欲しいのだ。 と言うのも、付き合い始めてまだ三ヶ月だがすでにオレは彼女と別れたいと思っているから、何の感情も無い。 無いというか、無かったと言うほうが正しいかもしれない。 背が高いからか、それなりに見た目に気を使っているからか、痩せているからなのかはしらないが、 オレは昔からよく分からないけれど異性から人気があった。自慢のようになってしまうが、中二の 時から彼女が途切れたことがほとんど無い。しかし、オレはその今までの彼女誰一人を好きと 思ったことも無いし、これからもずっと一緒に居たいと思ったことは無い。けれど、向こうが好きだと 言っているし、彼女がいるほうが世間体がいいので見た目だけでも恋人同士を演じている。 そんなんだから、表面を繕っていても大体彼女の方がキレて関係が終わる。 体目当てだったんでしょ、と何度言われたことか。それもあながち間違いではないけどね。 今の彼女も、見た目はそこそこだからいいかなと思って付き合っているが、別に何処が好きだから とかそういうのは無い。たまに名前を忘れてしまいそうになるくらいどうでもいい存在。 多分、今まで付き合ってきた誰よりも思い入れが無い。だからこそ、この冷たい態度なのだ。 冷たくあしらうというのが、円満に向こうから別れを切り出してくれる最良の手段なのだ。 オレが別れようって言えば良い話なんだろうが、やっぱり人を切り捨てるってのは心が痛むのだ。 しかし、付き合い始めて一ヶ月くらいからこんな態度を取っているけれど、彼女は一向に別れようと言い出さなかった。 それどころか、冷たい態度を取ればとるほど彼女はオレに熱心になる。オレは不思議を通り越して 不気味に思えたので、ストレートに理由を聞いてみた。そこで判明したのだが、彼女は冷たくしてくれる人 しか愛せない変態だったのだ。オレと付き合おうと思った理由も、冷たそうだったからということで。 そんな気味の悪い女と付き合っているのは精神衛生上よろしくなさそうなので、やむを得ずその場で 別れを切り出したのだが、冷酷な態度を取れば取るほど彼女は嬉しそうにするのだ。オレはもう手の打ちようが 無かったので、こうやってダラダラと関係を続けているのである。そんな変態が存在するのだろうか、と 人は疑うが、そういう奴にこいつの今の顔を見せてやりたいよ。 「帰らなきゃだめ?」 「マジで帰ってください。お願いだから帰ってください」 「えー、彼女に対してその態度?」 嬉しそうに答える彼女。心の底からうざったいと思いながら対応するオレ。毎日毎日これの繰り返しだ。 うざったいし、どうでもいい彼女の相手は本当に拷問だけど、最近はそんな生活に適応しつつある 自分がいるのだ。きっと、人はオレの半生を見たら本当の恋愛を知らない可哀想な人だと言うだろう。 それは正しいかもしれないが、間違っているんじゃないだろうか。オレは確かにこの二十年間、恋愛という 意味で誰も好きになったことは無い。しかし、それが何なんだろう。恋愛なんて突き詰めれば種を残すという 本能に突き動かされているだけじゃないか。それを勝手に綺麗で美しいものみたいにしちゃって馬鹿馬鹿しい。 そういうキレイ事を言っている連中の恋愛と、オレたちがしている恋愛を比較したら絶対に自分達の方が 人間味があると思うのだ。 メールが来る。同じサークルの奴だった。ディスプレーに顔を近づける。 「じゃあ、居ても良いよ」 「わーい」 「オレは眼鏡返してもらうために学校へ行く。で、授業に出る」 「ちょっと、何それっ!」 「留守番頼むな」 「えー」 とか言いながら弾んだ声を出す彼女。こいつはきっとオレが帰ってくるまでずっと家に居るだろうから、 今日は友達の家にでも転がり込んで厄介になろう。そんな日程を頭の中で立てて、家を出た。 |